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<description> （24時間おきに更新中）</description>
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<title>「あ、安部礼司~beyond the average~」脚本集SEASON1</title>
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<description>３時間以内で売り切れですか？！
ちょっと早すぎませんか？また買い損ねましたよ・・orzとても好きなラジオ番組なのに、この中古の価格を見るのが悲しい。
TFMの方、増刷の方、お願いします。買おう買おう...</description>
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３時間以内で売り切れですか？！
ちょっと早すぎませんか？また買い損ねましたよ・・orzとても好きなラジオ番組なのに、この中古の価格を見るのが悲しい。
TFMの方、増刷の方、お願いします。買おう買おうと思って先延ばしにしてしまったらいつの間にか売り切れに･･･(*ノ-；*)
20000円じゃとてもじゃないけど買えませんっ。早く買っておけばよかった…。
次のが発売されたら絶対に買います!!再販が決定しました！。詳しくは番組公式サイトで。
今までのプレミア価格ではなく、３，１５０円の定価で購入することが出来ます。
ただし残念ながら今回も部数限定ですので、
逃していた人は必ずこの機会にに手に入れてください。

（以下過去レビュー）

 この値段（定価は３，１５０円）でこの厚さ（広辞苑並）と内容の濃さ、定価ならかなりお得な品ですが、プレミアが付いた価格を払ってまで購入する価値が有るかと言われれば『微妙』と言わざるを得ません。
 確かに初期の頃を聞いていない人なら読んで楽しめるでしょうが、所詮は脚本集、各自の絶妙な間やツボな選曲等は文章では再現しようがありません。絶妙なシナリオと、各声優さんの熱演と、ツボな選曲が合わさってこその安部礼司です。
 プレミア価格でも構わないから購入しようと思っている人はその点を考えて購入を決めて下さい（今は再販受付中なので、当然定価で買えます）。1月6日の放送を聴き、シーズン1を読み返してみました。
ラジオながら全国のリスナーの涙を誘った｢先輩、石巻で散るっす｣、そして1月6日放送で初夢に出てきた加奈さんになぜか涙する安部に、また泣きしました。
安部の優柔不断を指摘する人も多いようですが、人間ってそんなもんですよね。

｢ひとの気持ちちゅーもんはなあ、こればっかりは、どうにもならん
 どうにもならんから・・・いとおしい｣

リスナーの中には加奈さんの存在すら知らない方もいるかもしれませんが、この最高に楽しく、切なく、愛おしい物語のすべてを知る為に、何としてもてに入れるべき本です。

まあ、売切れみたいですが・・。
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<title>ハムレット (新潮文庫)</title>
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<description> 高校時代の一夏に演劇をやった事がある。文化祭の一環に演劇コンクールというものがあり それの練習で夏休みを費やしたわけだ。僕の行っていた高校はかような行事が大変盛んで 授業より行事で存在感のある人が...</description>
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 高校時代の一夏に演劇をやった事がある。文化祭の一環に演劇コンクールというものがあり それの練習で夏休みを費やしたわけだ。僕の行っていた高校はかような行事が大変盛んで 授業より行事で存在感のある人が尊敬されていた。
 そんな夏に 演劇コンクールのために 新潮文庫でまとめてシェイクスピアを読んだ。何か役に立つと １５歳の僕が考えたのだろう。

 今考えると １５歳にシェイクスピアはちょっと荷が重かったと思う。口ではシェイクスピアが描き出した「人間の苦悩」というような話をしていたが 所詮たいした苦悩などしてきていない高校生の生意気だけであった。それはそれで青春時代のエピソードとして 今でも僕のどこかに残っている。

 シェイクスピアというと まずは本作ということになると思う。ハムレットは読んだことがなくてもハムレットという名前は皆が知っている。「ハムレットの心境」とは今でも良く使われるではないか。
「To be , or Not to be. That is the question」という言葉は 映画「荒野の決闘」でドクホリディが朗読した場面での有名だ。

 そうして それがシェイクスピアの凄みである。シェイクスピアの一つのセリフが出てきた瞬間に その映画、その舞台、その場面が がらりと雰囲気が変る様は良く見られる。俗な言い方をすると一瞬にして香気がただようとでも表現すれば良いかと思う。その雰囲気は 一振りの香水にも似ている。

 「To be , or Not to be. That is the question」。そう それは誰にとっても 何時になっても問題なのだ。
 ジョン・フォードの『荒野の決闘（いとしのクレメンタイン）』という映画を見ると、フォード監督は清純派よりもチワワのような「魔性の女」タイプのほうが好きなのでは？と思ってしまう。ただ、西部劇を見に来るような客というのは逆の嗜好である可能性が高い。その辺のジレンマがあの映画に出てたような気がする。ラストに「クレメンタインという”名前”は好きです」という台詞があるのは一種の皮肉かと思った。

『ハムレット』を読んで同じようなことを感じた。シェイクスピアの作品はテーマが３つに分けられるそうだ。
それは、命、女、金(かね)。それぞれの意味は、何のために生きるか？という事で、
「命」は自分自身のために生きること。
「女」は他人(家族・恋人を含む)のために生きること。
「金」は地位や名誉・・人間以外の物品などを手にするために生きることである。

例えばこのハムレットは「命」に属する作品で、「女」はロミオとジュリエット、「金」はジュリアスシーザー、リチャード３世、マクベスなどが代表的な作品。

ハムレットの中にも「女」「金」の要素は存在するが、主人公ハムレットはそんなものには目もくれず、自分自身の宿命を背負って死ぬ。シェイクスピアの哲学は現代にも生きている。もちろん、読むべき。
福田恒存氏の翻訳が素晴らしい。
読み比べたわけではないが、この水準に達するのは至難の業と思われる。
臣下たちの凛々しさ、ハムレットの台詞のカッコよさ、言葉遊びの面白さなど、いろいろな要素を生かし、実に充実している。
福田氏自身の解題、さらに中村保男氏の解説と、全てが揃っている。
浅野勝美氏の表紙絵もとても雰囲気がある（なんと『皆川博子作品精華』の装画もこの方とのこと）。
 私は福田先生の訳のシェイクスピアしか読んだことがないので他の翻訳のものと比較することはできませんが、非常に読みやすく、しかし格調高さをもった訳だと感じました。読んでいる一つ一つの台詞につけられた身振り手振りが眼に浮かんでくるようです。ハムレットは悲劇ですが、これを書いたときのシェイクスピアの情熱が伝わってくるようでした。他のシェイクスピアの作品や他の翻訳を読んでみたくなる良い作品かと思います。
 さてハムレットは狂気にとりつかれているか否かですが、私の考えでは半々かと思います。人間の心のうちに矛盾した二つの考えがあり、その間を揺れ動くというのは自然なものです。憎しみ、恨みというものは往々にして人を狂気へと誘うものであり、しかしハムレット自身は、諸所の台詞からも伺えるように、筋の通った理性的な王子であると考えられます。それ故に彼は確かに復讐を成し遂げ、しかし意図せぬ悲劇のうちに命を落としてまったのだと思います。
 余談ですが、つい笑ってしまった箇所があります。９５ページの加減をたずねた王に対するハムレットの返答です。それまで彼のおかしな発言のなかにも筋が通っていましたが、これだけは本当に意味のわからない言葉が見事に並んでいたのでつい吹き出してしまいました。「カメレオンよろしく〜」って王でなくても意味がわかりません。その前の場面で「気ちがいにならねばならぬ」と言っていたことにそって、本当に狂った演技というのがでています。
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<title>マクベス (新潮文庫)</title>
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<description>シェイクスピアの作品をちゃんと通して読んだのは始めてだ。
意識下にある人間の欲望と、内からうまれた力か外的な力か、マクベスの野心に火をそそぐ、三魔女のそそのかしに逆らえない弱さが生む簒奪劇。
王権を...</description>
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シェイクスピアの作品をちゃんと通して読んだのは始めてだ。
意識下にある人間の欲望と、内からうまれた力か外的な力か、マクベスの野心に火をそそぐ、三魔女のそそのかしに逆らえない弱さが生む簒奪劇。
王権を手にしつつ自分が殺したダンカン王や同僚の武将バンクォーの死霊に悩まされる。

読み物としては、難解でもなく、テンポもいい。セリフ回しも歯切れがよくて舞台にかけるにはピッタリだ。
むしろ解説の方が難解だ。
まぁ、言ってることはなんとなくわかるけど。
とにかく「ハムレット」が対比に使われている。
そうか、そのうちハムレットも読んでみることにしよう。マクベス。魔女の予言。誰もかれもがマクベスにその手を汚せとささやく。

「きれいはきたない。きたないはきれい」という魔女のなぞの言葉・・・・。

それは完全無欠な人生を歩むには、邪魔者を殺しその手を汚すしかなく、
その手を汚したくなければ完全無欠な人生など歩めはしない(王にはなれない)という強迫なのだ。

それがマクベスの鍵となる文句。その強迫に操られてマクベスは死ぬ。

シェイクスピアの作品は、実際の演劇を見てから読むに限る。舞台での台詞のテンポと臨場感を一度経験しておくと、文学として読む作品に生命が宿る感覚を覚える。
どの作品もそうだが、マクベスも、シェイクスピアの人間の本質と弱さをシニカルに描いた作品と言うべきだろう。無闇に人生訓のようなものを導き出すのは良くないが、やはりどうしても、シニカルな視線の中に、学び取らねばならないものを感じてしまう。この作品では、魔女の囁きにそそのかれ、独善的となり、高揚した主人公が、冷静さを失ったゆえに、結局は身の破滅を導く、というストーリー。治世というレベルでなくとも、あらゆる人生の場面で、こんなことはあるものだ。
それにしても、やはりシェイクスピアの詩のような言い回し、巧みな比喩には、美しさを覚える。このような美しさ、それも”冷徹な美しさ”こそ、天才のなさる業だろう。Ｗ・シェイクスピアによる四大悲劇の一つ。
スコットランドの武将マクベスが、自らの野心と策略によって破滅する過程を描く。

王位欲しさにの高い君主であるスコットランド王ダンカンを暗殺したマクベス。
手にした王位を死守する為に非道の限りを尽くすも、犯した罪に苛まれる。
そして洞窟へ赴いたマクベスに魔女が言う。
「マクベスは滅びはしない。バーナムの大森林がダンシネインの丘に攻め上らぬ限りは」
「そんなことがあってたまるものか」
洞窟から帰ったマクベスはその後も非道の手を弛めることはなかったが、
魔女の言葉が真実であることを、やがて意外な形で知ることになる。

武闘派マクベスの内面の弱さによる葛藤が読みどころ。
ストーリーもシンプルで読み易い作品。個人的には冗長で長編の作品が好きなため、なかなかシェイクスピアの作品には手がでなかった。
作品同様、彼の作品に対する批評にもほとんど触れたことがないため、残念ながら作品の手法、芸術的側面についてはなんともコメントしがたい。
そういうわけで、今回は専ら内容的、警句的な側面について。

この作品では権力的志向の醜悪な側面がマクベスの顛末に体現されている。ある人がこれを端的に「権力の魔性」と表現したが、まさにこの一言に凝縮されるであろう。
マクベスが権力の魔性の虜となって行く転機はどこにあったのだろうか。言い換えれば彼はどこで踏みとどまれば作品のような悲劇的結末を体験せずにすんだのであろうか。
直接的な契機は三人の魔女との遭遇にあるように描かれている。三人の魔女に唆されたというように。しかし作中のマクベスは魔女達に偶然的に狂わされた人物としては決して描かれていないように思われる。むしろマクベス自身がもともと保持する醜悪な側面が単に魔女との出会いを契機に噴出したに過ぎないというほうが穿っているのではないだろうか。
私は常々思うことがある。自分の醜悪な側面の存在を認め向かい合い、内的対話により止揚せんとする姿勢が、自身の醜悪に飲まれず逆にそれをコントロールしていくための肝要なのではないか、と。
描かれてはいなため想像の域を出ないが、日常のマクベスにはそれがなかったのだろうと思う。おそらく彼は自分の醜悪な面をはっきり自覚した体験を持たず、故に止揚するすべを知らなかった。
そのため、魔女達との出会いにより噴出した醜悪性に対し、彼は抗する（むしろ付き合うというべきか）すべをもたなかったのだろうと思われる。そして醜悪性に飲まれていくのである。

殆ど想像のみから書いてしまったが、私の読後感である。
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<title>友達・棒になった男 (新潮文庫)</title>
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いったい『男』はこの世の中で望んだのは孤独なのだろうか？それとも家族愛だろうか？人々がこの世の中で強く生きるには一人でも生きられるように孤独に対応しなくてはいけないのだろうか？この本の『友達』を読むと家族とは何か考えさせられる。できればこの本を中学生、高校生の人たちに読んで貰いたい。たいていの人はこの年代になると友達の繋がりが家族の繋がりより大切になり家族の存在がウザイと思うようになる。そんなときこの本を読めば『友達』と『家族』の正しいバランス。ともに必要で人はその二つを求める生き物であるという事に気づくのではないでしょうか。人は強がって孤独を好むよう見せるが、誰だって愛に飢えれば愛を求める。そういう生き物ではないでそうか。 見知らぬ家族がひとりの男の家に闖入してくる｢友達」は、集団と個の吸収過程を黒いユーモアを交えてえがく傑作。登場人物が個性的で愉快、彼ら一家と青年の会話も軽やかでおもしろい。しかし油断は禁物、実はこの一家はとてつもなく恐ろしい友達なのです。
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<title>ファウスト〈第1部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)</title>
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<description>鴎外の名訳があるというので、高校生時代にファウストに初挑戦したが、なにが面白いのかわからなかった。先生に話すと、受験とは関係ないなと言われた。大学生時代だったかに相良訳のファウストが岩波文庫で出たと...</description>
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鴎外の名訳があるというので、高校生時代にファウストに初挑戦したが、なにが面白いのかわからなかった。先生に話すと、受験とは関係ないなと言われた。大学生時代だったかに相良訳のファウストが岩波文庫で出たというので読んだ。内容を掘り下げるのに苦労した。自分でも読み方が不十分と思ったし、ゲーテに対する一般的評価とは違いすぎるなと思った。その後、中央公論から手塚訳（手塚富雄訳のことで、池内訳２巻の末尾に出ている手塚治虫の漫画とは別物）が出た。これは面白かった。たしかにファウストは（そういわれるからかもしれないが）、特に第２部が奥が深いなと思った。そして、別の契機から「新訳」というのに興味がわいて、池内訳を読んだ。今までのものとの違いに驚いた。わかりやすさは格段上だ。ただし、この訳を最初に読んだとすると、ゲーテの深みが出ない感じもする。一語一語を理解するのに考えながら読んだ過去のファウストに比較すると、池内訳は「斜め読み」さえ可能である。これは、過去とは違って、時間にゆとりも出来て、ゲーテの「イタリア紀行」を携えながらナポリからパレルモへ船で渡ったり、ヴェネチアを楽しんだり、ギリシャ神話の母国やトロイ遺跡へ行ったりした後で読んだから、よけいにわかりやすかったのかもしれない。ちなみに、シチリア島のパレルモを歩くと、ゲーテの時代を感じることが出来るから面白いものだ。この池内訳は、活字離れの進む今の若者にはいいだろう。ファウストの粗筋を知って、手塚訳か相良訳に挑戦してもらうとよけいにいいと思う。特に、全てを「金銭」で判断したり、片づけようとしている今の日本の社会を見ると、多くの人（若者も高級官僚も政治家も）にファウストを読んで、考えて欲しい（特に第２部）。なお、池内訳では解説が素晴らしい。挿絵は断然、文庫ではない手塚訳のものだ。★４の理由は、新しさ（読みやすさ）と豊富な内容の解説への高い評価に、これだけではゲーテを理解するには不十分であることと挿絵のまずさのマイナス点を加えたものである。 “ファウスト”積ん読の一冊だったのに、読んでしまった。
池内訳の散文は一気に読めたし、山本容子の銅版画のイラストもぴったりだと思った。
 前半は、戯曲という形式と、神や悪魔などを受け入れるのにちょっと戸惑ったが、霊液で若返り、マルガレーテにいいより思いを遂げるファウスト。そのためにマルガレーテは、ファウストに兄を殺害され、母は死に、妊娠。産まれた赤子を殺し、獄に繋がれる。彼女に救いはあるのだろうか。最後の場面には、感動した。
 読むきっかけとなったのは、北村薫「スキップ」のなかに「時よ、とまれ、おまえは美しい」の「ファウスト」の詩句を読んだことにある。
 古典とは、さまざまなものに影響を与えているのだ。人間は何時の時代も変わらない。読み返すほどに奥が深いと思う。
 
ファウストと言えば、相良守峯先生の名著と思われている方にも是非ご一読をお薦めしたい。深くを追求するには、あまりにも困難きわまるゲーテであるが、このような訳が可能であるのかと、驚きながら一気に読みきってしまった。本来の文章を追う訳本である場合、言語差による面白みの欠如からどうしてもストレスを感じてしまうのだが、異国への憧れ、人の本質、著者の伝えたいイメージがぐぐっと押し寄せてくる感じ。ゲーテは難しいと苦手意識のある方にも安心して薦められる。少しの西洋史か神話の知識があれば、青少年にも楽しめる内容であると思う。個人的に、挿絵のイメージが異なり星４つとさせて頂いた。 あらすじはご存知、ファウストとメフィストの賭けの顛末であるが、訳と注によって、これほど読後感の違う作品に初めて出会った。 例えば、第一部ではファウストが悪魔に魂を売ってでも究めたかったこと、この重要な部分で訳語から受ける印象が違う。つまり、ファウストの性格設定が違ってくる。 また、順序が前後するが、冒頭の「捧げる言葉」は瑞々しい口語体で心に響く。「あるのは思い出そうとする意思だけだ。」という、アメリカ人人気作家の手に成る連作の切ない一節が浮かぶ。豊饒かつ長大なことで名高い作品で、フランス人作家が生涯かけて「求め」たのも、そうした「時」である。 ゲーテがこの部分を書いた時、彼は既に五十路に近い。なぜ過去は輝くのか。まだ、私にはわからない。しかし、その輝きが第一部のテーマであるように思われた。 明快でリズミカルな池内訳は特に年少の読者におすすめしたい。一方、『ファウスト』は一生に何度も楽しめる作品として、つとに知られる。先行する鴎外、相良、高橋各訳で読まれた方には、池内訳の結ぶ新たなファウスト像を、頭の体操を兼ねて楽しんで頂きたい。旧来までの訳は難解とのことですが、この池内訳は読みやすいく、お正月休みに一気に読みました。山本容子さんの挿し絵もステキ。読書の歓びをたっぷりと堪能させてくれました。来年のお正月休みにでももう一度読みたい。また私はこれを機会に原文の韻文に忠実な旧訳も読んでみようと考えてます。
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<item rdf:about="http://41-book.bestbook-search.com/detail/06/4087610098.html">
<title>ファウスト〈第2部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)</title>
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 ファウストとメフィストの賭けは続く。といっても、舞台も時代も転々と移り、果ては神話の世界にまで至るから、筋を追うだけでは辛い上に勿体無い。 かつてゲーテが宮廷の要職を放り出してイタリア旅行に出てしまったように、筋は投げ出して、しばし古代のエーゲ海で、豪華キャストによるきらびやかな舞台を楽しまれたい。 中盤を楽しむほど、終盤の「灰色の女」と契約の「時」は際立つ。 さて、虚構を常識で裁くのは野暮だが、第一部で直接１人、間接的に２人を殺し、第二部でも・・・。となれば、最終的な志の如何にかかわらず、地獄行きだろう。賭けは当然、メフィストの勝ち、か？ 池内訳の結末は、死を間近にした一老人ゲーテの願望の投影かもしれない、と読者に思わせる。ファウストは人格者というより普通の人だ。訳語、訳文と最小限に絞られた注、という目立たない方法で、新たに大胆な解釈を加えたように私には見えた。 迷路だらけの宝島が、多くの研究者を惹きつけ、研究書で図書館が建つ。そいう豊かな作品である。
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<title>ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット)</title>
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<description>ランボーの『地獄の季節』がいい例だが、ある時点から、少なくとも芸術に対して誠実であろうとする者にとっては、もはや何も創作するができないという事態が生じた。
『ゴドー』はその逼迫した状況に勇敢にも挑戦...</description>
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ランボーの『地獄の季節』がいい例だが、ある時点から、少なくとも芸術に対して誠実であろうとする者にとっては、もはや何も創作するができないという事態が生じた。
『ゴドー』はその逼迫した状況に勇敢にも挑戦し、小さな、しかし偉大な風穴を開けることに成功している。
「どうにもならん」というエストラゴンのセリフから始まるこの劇は、芸術の不可能性を認識した上で、その不可能性と戯れている。
一方では、軽快でナンセンスな喜劇であり、他方では、終末の予感（芸術の死、人間性の死）に満ちた悲劇である。
いずれにしても、芸術を志す者にとっては避けて通ることのできない道である。
本書は現代に生きるわれわれの導きの糸となってくれるだろう。例えば、生きる事の意味をとことん考えて見る。「意味」「価値」etc....。二人の何者が分からない男が延々とはぐらかした無駄話を続ける。「ゴドー」という何者かを待ちながら。戯曲とは「読むための文学」として完結する事が存在理由なのではない。芝居に昇華されるための「アウトライン」として、「開かれて」いるべきものだ。そしてこの戯曲ほどあらゆる解釈と演技を成立させる、『開かれた戯曲』はまず、ない。演出家と役者の解釈と実力によってあらゆるカラーを見せ、とてつもなく面白い芝居にもなり、最低のつまんない芝居にもなる。（日本では１０年程前に、蜷川幸雄氏が男版・女版として、２バーションを演出した、男「西村晃・江守徹」女「市原悦子・緑魔子」が凄かった。アメリカでは「スティーブ・マーチン」と「ロビン・ウイリアムス」がNYで演じている。凄いキャスト。ぜひ見たかった！）だからこそ本作は演劇の可能性を高らかに歌い上げている。読んで面白い、という作品ではないが、『象徴的』という形容がこれ以上的確にあてはまる作品はなく、それを生みだした、ベケットの着想の凄さに敬意を表して★５つ。とにかく考えさせられる劇である。ゴドーを待つ二人を中心に劇は進むが、ゴドーは誰なのか？何故待っているのか？等などの疑問が次々を浮かぶ。読み終わって、あたりを見渡し考える。我々は何かを待っているのであろうか？何を期待し今日を過ごしているのであろうか？混沌としている世の中を読み解く鍵としても一読をお薦めする。
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<item rdf:about="http://41-book.bestbook-search.com/detail/08/4003102738.html">
<title>夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-18T02:29:14+09:00</dc:date>
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<description>女は強しｗ
妖怪は強しｗ
約定を違え理不尽で自己中な人間共を圧倒的な力でお仕置きする。
この爽快感。
命の為に恋は捨てない！！この潔さ！！
こんな恋をしてみたいものである。

さて夜叉が池のお雪さん...</description>
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女は強しｗ
妖怪は強しｗ
約定を違え理不尽で自己中な人間共を圧倒的な力でお仕置きする。
この爽快感。
命の為に恋は捨てない！！この潔さ！！
こんな恋をしてみたいものである。

さて夜叉が池のお雪さん、両親は龍神と言いながら晃の話では
日照りの生贄の乙女であったりする、この謎の存在。
記憶が自己修整されているのか？
天守物語のお富さんは遠く離れた夜叉が池のお雪さんと友達みたいだしｗ
不思議とリンクしている幻想戯曲。
謎が謎を呼びます。『天守物語』『夜叉ヶ池』ともに坂東玉三郎が演じています。戯曲なのですから、
演じられねば話になりません。そして、舞台で観たのは『夜叉ヶ池』でした。
同時に『海神別荘』も演じられたのを二回観ましたが、泉鏡花の台詞の美しさを
稀代の女形が演ずることの素晴らしさよ。映画も先の二作はありますね。
でも、DVDになっていないのですよ。これは甚だ残念であるし、国の宝なのですから
ぜひ自宅でも観たいと思います。
ともあれ、『高野聖』『眉かくしの霊』という小説で味わう鏡花とは別の趣が楽しめて
鏡花のスケールの大きさ（という言葉はこの方には似合わないけれども）
を味わってください。で、DVD,ぜひお願いします。７月歌舞伎の鏡花４作品『夜叉ヶ池』『海神別荘』『山吹』『天守物語』上演（坂東玉三郎演出・主演）を見た。私は長く鏡花を誤解していた。 美文、江戸情緒、妖怪変化の幻想性、男権的女性の客体化、という三島や澁澤龍彦系の解釈に長く安住していたのだ。作品は美しい異界と醜い人間界との対立のように描かれているが、違う。舞台を見、改めて本を読み返してみて解ったが、ここには対等な男女が愛し合う男女共生の価値観と、高圧的な家父長的男権主義の価値観との対立が描かれている。そして異界とは原始アニミズムである。異界の力を借りるときには、男女共生の価値観が近松心中物のノリで勝利するが（夜叉ヶ池・天守物語）、人間界のみの道理に支配されると、家父長的男権主義が勝利する（山吹）。『夜叉ヶ池』の萩原晃や『天守物語』の姫川図書之助は夢幻世界の住人即ち男女共生社会の一員になれるが、『山吹』の島津正は「仕事がある」と言って断じて共生社会に組しないのだ。殊、『夜叉ヶ池』のラストは圧巻。晃に「人は心のままに活きねばならない」などと言わせて個人主義・自由主義を語る。俗物代議士に「いやしくも国のためには、妻子を刺殺して、戦争にでるというが、男児たるものの本分じゃ。」と言わせ、いざ死ねと迫られた途端逃げる姿を描いて、全体主義を揶揄する。ここまでくると、フランス革命以来の市民社会法の理念が語られてて、鏡花って、女性蔑視をしない分、中江兆民を凌駕するんじゃないの？！とまで思わせる。・・・と、これが深読みかどうかは、この本買って読んで考えて頂きたい。２作品ともに「人間世界」と「妖怪世界」の対立。選ばれた人間が最後は妖怪世界に行く。『海神別荘』の「乙姫様が御工夫を遊ばしました」百科事典。海底にある「此の国の微妙なる光に展（ひら）きますると」白いページの上に、森羅万象が極彩色で描きだされる。『夜叉ヶ池』の白雪の衣裳。「雪なす羅（うすもの）、水色の地に紅の焔を染めたる襲衣、黒漆に銀泥、鱗の帯」。鏡花の天才は、舞台でも実写の映画でも不可能なイメージを、華麗な詞章に封印した。現在の３ＤＣＧのアニメによって、それは初めて再現可能となったのではないか？若き才能の挑戦に期待！押井守さん如何？
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<title>ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)</title>
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<description>（；'Д｀）ﾊｧﾊァ さあてファウスト第２部だが・・・ファウストに言いたいことがある・・・。週刊少年漫画板でも聞いたが・・・おまいの漫画は・・・漫画としての文法が成り立っていないそうだ。本当にそうな...</description>
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（；'Д｀）ﾊｧﾊァ さあてファウスト第２部だが・・・ファウストに言いたいことがある・・・。週刊少年漫画板でも聞いたが・・・おまいの漫画は・・・漫画としての文法が成り立っていないそうだ。本当にそうなのか・・・おまいの漫画を一度 読んでみたいと思った。話はそれだけだ。私は、あまり一度読んだ本を二度三度と読み返さない方なのだが、「ファウスト」は、多分、中学生で一度、高校で二度、大学で一度、社会人で最低一度は読んだ。読むたびに、自分に迫ってくる個所が変るように思う。また、読書という体験から伝えられるメッセージも変る。なにか教養というものに対して幼いあこがれがあったから、最初の頃は単に名作として無理矢理読んだ。あるいは、手塚治虫の「百物語」などとの関連で読んだのかもしれない。青春のころは、グレートヒェンとの恋物語として読んだように記憶している。自分の恋と、ゲーテの恋を重ねていた。ゲーテが恋多き人生だったと、解説にあったことで安心した。今回は、最低でも十数年ぶりに第二部から読んでいるのが、実に面白い。随所に人生の知恵が隠されている。まだ、それらをきちんと自分の文字として、まとめるには自分の筆力があまりにも足りないのだが、くすくす笑ったり、現代との接点のあまりの深さに鳥肌立ちながら、読んでいる。実によい読書体験だ。うれしい。「私がついに知ったことは、人間は実は何も知ることが出来ないということだ。」と言い、悪魔と生きることを選んだファウスト博士。彼はその後、恋をし、老人の家を焼き、その人生を謳歌する。その第2部は音楽のような旋律であり、一貫した何かを語りたいというよりは、人生というものの無常たるところを楽しく唄っているように見える。さて、このファウストに家を焼かれたフィレモンという老人に、後の心理学者のユング博士は、自らの心の分身にその名前を授けた。ファウストは間違いを犯す、間違いを犯さざるを得ない。間違いを犯すこととは、生きることに他ならず、それは悪魔の嘲笑するところである。彼がその間違いだらけの人生にそれでも美しいと言うのならば、賭けは悪魔の勝ちである。冒頭で世界に絶望し、決してこの言葉を口にする筈のなかったファウスト博士が、終にその世界を素晴らしいと認めてしまう。「とまれ。全て（あなたは）は美しい。」この瞬間に、悪魔は賭けに勝利したにもかかわらず、神を裏切った筈のファウスト博士は、神の手助けで昇天する。何という意味不明な最期なのか。興味深いことを言えば、人生とは全て苦と説いていた仏陀は、死ぬ直前に自らの最期の食事をふるまった者を祝福しつつ、次のように言った。「人生とは甘美なものだ！」ファウストが何故神に祝福されつつ昇天するかは、この作品最期にある言葉、「永遠に女性的なるもの、われらを牽きて昇らしむ。」の謎を解き明かさなければ知ることができない。「西洋と東洋は分けて考えることはできない」（ゲーテ）核心をつく第２部。運命の３女神、灯台守の詩など短詩としても美しい言葉が並ぶ。運命の３女神のストーリーをベースにした漫画「ファイブスタ−ストーリー」（永野護）も必読。ゲーテのファウストが難しかった人は手塚治虫さんの「ネオファウスト」を読むと理解できると思う。ただしこちらは執筆中に作者他界。未完に終ってしまった。ゲーテが幾十年という歳月をかけて取り組んだ大作。おそらく自分にとってランボーがそうであるように、多くの人にとってこの「ファウスト」は読む場所や気分、年齢によって受け取り方や感じ方が変わるものであるのではないだろうか。読めば読むほど味が出てくる、そして年を重ねるごとに新しく出会う個所がある一方でわからなくなる個所も出てくる、そのような書であるような気がする。“哲学も、法学も、医学も、またいらんことに神学までも、容易ならぬ苦労をしてどん底まで研究してみた。それなのにこの通りだ、可哀想におれという阿呆が。昔よりちっとも利口になっていないじゃないか。”この言葉が二十歳の今、最も印象に残った言葉であったが、この先 読み返したときにいったいどのように感るのだろうか。まったく未知数でであるがゆえに楽しみである。
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<item rdf:about="http://41-book.bestbook-search.com/detail/10/4003240626.html">
<title>ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)</title>
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<description>・元々ドイツに伝わるファウスト伝説をもとに書かれた作品。ファウストという名の錬金術師と占星家が実在したらしい。同一人物との説あり。この件は、本書の約４０ページに及ぶ詳しい解説にも書かれている。
・ゲ...</description>
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・元々ドイツに伝わるファウスト伝説をもとに書かれた作品。ファウストという名の錬金術師と占星家が実在したらしい。同一人物との説あり。この件は、本書の約４０ページに及ぶ詳しい解説にも書かれている。
・ゲーテが若い頃から書き始めたライフワークで、最終的には人生経験豊富な老人ならではの視点も入った、練りに練られた傑作である。構成美の一方、人間の醜悪な部分の描写もある。さらに生命力溢れる民衆の楽しみに通じた点がにじみ出ており、作品深さと広さを感じる。「隠し砦の三悪人」など、黒澤明のいくつかの映画を思い起こさせる。

（付記１）ロックバンドThe Policeの名曲“Wrapped Around Your Finger”の歌詞に、メフィストフェレスの名が出てくる。
（付記２）1938年に毒殺されたブルーズマンのRobert Johnsonには、ギターの上達のために悪魔に魂を売ったとの伝説がある。米国の黒人と共通するとは（キリスト教の影響があるにしても）、何か悪魔には人類共通の思い入れがあるのだろうか？ファウスト 第1部 (1)    岩波文庫 緑 6-1ゲーテ (著), 森 林太郎 (翻訳)  ISBN: 4003100611 ; 1 巻だと思っていたら、翻訳が違うのですね。森 林太郎 というは あの文豪、鴎外です。がっかりしていたが、ちくま文庫の森鴎外全集に入っていました。  もし、旧版の岩波文庫で読みたかった人はこちらをお勧めします。新潮その他、翻訳者は異なりますのでお好きな本を。個人的に、手塚治虫のファウスト(朝日文庫)も好きです。やはりゲーテは言葉の美しさからしてなんかすごいですね。本当にその素晴らしさを語れといわれるとむずかしんだけど 感覚に訴えるっていうか言葉の美しさってこう言う感じなのかなと初めて思った作品ですね。想像してもきれいだし何よりセリフに臭さがないといったらいいか作品の雰囲気の中で自然と適切な言葉が出てきていると言うか・・・やっぱり説明すると難しいけど・・・そして何よりもその発想力と構想力 （何かいまのＳＦにも十分通用するようなところありますよね） やっぱり悪魔と魂の契約をするという筋が何よりも魅力的（？） 手塚治虫がすきだったというのも納得。あとできれば本によって訳のうまいへた、注釈とか、話の分かりやすさ結構違ったりしますので自分で少し見てみて選ぶのをお勧めします。それ自身が既に降霊術の呪文のような、深遠で謎めいた長い前口上。そして現れるのは老博士の書斎。脚本という形式を取る事で、私達はゲーテ自身のト書きを通し場面をヴィジュアルに思い浮かべる事ができる。魔法陣の中と外の駆け引き、メフィストフェーレスの自在な変身など、言葉にされると多分救いようもなく陳腐な表現になってしまうだろう。だから、この戯曲が上演可能か不可能かは本質的な問題ではない。動員しうる全ての想像力を刺激して訴えかけてくる、ヴァーチャルな総合芸術。文豪をして数十年の歳月を要した超大作に、あなたはどの様に打たれるか？また、シューベルトやリスト、マーラー、手塚治虫などの、この作品に触発された創作に手を伸ばしてみるのも面白い体験かも知れない。心理学者で有名なユング博士が大のお気に入りだったゲーテの「ファウスト」であるが、一部にこの書物は、オカルティズムとも関連が深いと言われることがある。しかしながら、それを読解できるのは非常に稀なことであり、殆どの人はそのような読み方をできないという評を、哲学・心理学・宗教学・オカルトなどの各書籍で見つけることができる。さて、この書物はゲーテのライフワークであったことは確かであろう。彼の青年の頃から書き初め、死の直前まで書き進められた、その最初と最期に深い意味がある。よく言われることであるが、ファウストもメフィストフェレスも同様にゲーテの分身であるということである。若き神学者であり哲学者のファウスト博士は、この冒頭で眼前に偉大な何かを見つつ、それと決別せねばならない。「もう神も悪魔も恐くはないが、私には生きる楽しみが無くなってしまったのだ。」と言い、毒杯を仰ごうとする彼は、青春があまりにも早く過ぎ去ったと嘆くツァラトゥストラを彷彿させる。実は彼はこの決別に絶望しつつも、悪魔と契約し没落することで生命の素晴らしさを再び探求する旅に、今出かけるところなのだ。生命を謳歌し満喫する為に、彼は悪魔と同属とならざるを得ない。それもまた絶望である。さらには彼は、若い娘に神について説教され、それを悪魔に揶揄される。「神についての専門家が、逆に説教されてしまいましたね。」という言葉には、一体何が隠されているのだろうか。この作品は、少なくとも二重の読み方ができる。簡単にファンタジーを楽しむか、それとも永遠を見たゆえに悪魔と契約しなければならない神学者の姿を見るかである。
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<title>ガラスの動物園 (新潮文庫)</title>
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<description>我々には選ぶ権利はなく、我々のことは微塵も考えてくれない、我々の大統領が決まった。
not for Japanese people, not by Japanese people, but The ...</description>
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我々には選ぶ権利はなく、我々のことは微塵も考えてくれない、我々の大統領が決まった。
not for Japanese people, not by Japanese people, but The president of Japanese people. Mr.オバマ。
この本を読むと日本がその意志に関係なく、アメリカ特急に乗ってしまったことがよく分かる気がする。格差社会、負け組と勝ち組、そして様々な心の病。

本が書かれたのが、1945年。
アメリカ社会の常に成功へと駆り立てられる何かが
登場人物たちに暗い陰を落としている。
母親アマンダは過去の栄光にすがりつき、
逆にローラは、人生のすべてを放棄しているかのようだ。
トムは、一見、若さ特有の夢を見ているように見えて、
成功という宗教に取り付かれている。

ウィリアムズがアマンダとローラに自分の母と娘を
投影させて描いたとするなら、夢を求めて飛び立ったトムは彼になる。
彼自身の人生を知ってしまうと、この物語は悲劇以外の何ものでもなくなってしまうのだが、
青年紳士の必死の訴えが、ローラに、少しでも届いたと信じたい。テネシー・ウイリアムズを一躍有名にした本作は色々な劇団によって演じられているそうですが劇という演出家の観念で作った物を見る前に是非とも原作を読んでイマジネーションを広げて欲しいと思いました。
語り手であるトム、過去の栄光が忘れられない母アマンダ、ガラスのように繊細な心の持ち主である姉ローラ。
作者が一番訴えたかったのはローラの人生なんだと思います。
繊細すぎ、傷つきやすいがために人生とうまく折り合いをつけられない姉。
姉の日常においてできることは彼女のコレクションのガラスの動物たちを世話することと、古い１枚のレコードを聞くこと。
ガラスの動物たちは彼女の心の反映であり、小さくて壊れやすいのです。
それは作者の実在する姉であるローズがモデルであることは明かです。
両親にロボトミー手術を受けさせられ、廃人になってしまった姉。
それを止められなかった作者は終生悔恨の情に溺れ、名声とは裏腹に私生活は荒れていたと言います。
そんな作者の魂の吐露が切実なまでに我々に訴えてきます。誰の胸にも、家族という重いしこりが居座っている。その急所をテネシー・ウィリアムズが直撃する。読み出したら止まらない。
過去の栄華を誇り、現実を否認し続ける母・アマンダ、足が不自由で極端に内気で婚期を逃した姉・ローラ、文学を愛しながらも倉庫係の職にしか就けない弟・トム――３人の運命から眼を離すことができない。三人は、わたしたちの心の中で生きている。彼らを笑える人は一人もいない。ラストシーンは悲しくて、泣ける。テネシー・ウィリアムズの作品に登場する女性たちはいつも同じ。あまりに繊細すぎるがゆえに、現実に適応する能力を持たない女たちだ。
ガラス細工のように繊細で不器用なローラは、テネシー自身の姉（実際に精神異常者となる）をモデルにしたものだ。
テネシーは姉を見捨てた自分を生涯、悔やんでいたと聞く。叙情的な美しさ哀しさが、全編にみなぎっている名作である。 テネシー・ウィリアムズほど米南部の伝統と悲しみを切実に描き出した劇作家はいないように思う。南北戦争に敗れた「負け組」の南部の出身であることに彼は生涯こだわり続けた。
 彼の名声を一挙に高めた本作がいまだに世界各地で上演され、愛されているのはやはり登場人物たの魅力によるものだろう。特にアマンダとローラは彼の母と姉がモデルであるだけに、鮮やかな実在感に満ちていていつまでも読者の心に生き続ける。
 南部婦人の誇りと生活力を備えたアマンダと、ガラスのように繊細で現実に適応できないローラ。そして二人を愛しながらも批判的に見るトム。トムの最後の独白が感動的なのは、生きてゆくためにはある意味非情さが必要だと知りながら、デリケートな姉に深く共感せざるを得ない作者のジレンマと悲しみが私達の問題でもあるからだろう。どこにでもあるような家族の物語が、セリフの一つ一つによって静かな光を放ち、普遍性を帯びる。テネシー・ウィリアムズの原点というべき作品だ。
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<title>アーサー・ミラー〈1〉セールスマンの死 (ハヤカワ演劇文庫) (ハヤカワ演劇文庫)</title>
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<description> 人は時として心から愛しているものでさえ見失うことがありますよね。 それはしょうがないことのようにも思えますが、このような小説に出会うことによって、そのようなことを未然にふせげるんでないかとも思えま...</description>
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 人は時として心から愛しているものでさえ見失うことがありますよね。 それはしょうがないことのようにも思えますが、このような小説に出会うことによって、そのようなことを未然にふせげるんでないかとも思えます。 
 この小説の時代背景としては、ちょうどアメリカの社会が資本主義社会に移り変わった時期であり、また人々も以前の人格主義的考えから、物質主義的な考えにとって変わろうとしていたまさにその時期であります。 主人公のビルは、人間を大切に商売をする誠実なセールスマンであったのだけれど、時代の変化とともにその性格も徐々に変化し、お金やモノに左右される人間になっていきます。 そんな中、自分ではきずかないうちに愛する息子や妻との距離は広がり、ついにはわかりあえないまま最後をむかえます。 この作品を２０そこそこで書き上げたアーサー・ミラーは早熟な天才だなと素直に思いました。 以前にどこかでみつけたのですが、作者が７０才位の時に残した言葉で、「現代、人々はいつ爆発するかしれない時限爆弾の上で生活している。 そして冷蔵庫の上にたって月をつかみとろうとするなんて、本当にばかげたことだ。」 かってに僕が訳しているのでみなさんにつたわらなかったらすいません。 でも、この本を一度読んでもらえれば、少し僕がみなさんにいいたかったことをわかってもらえると思います。 現代、資本主義社会に生きる僕達にとって、読むべき本であるように思います。 そして、それを６０年以上前に書いたアーサー・ミラーを心から尊敬します。今の時代、戯曲が売れるとは思えないが･･･「ハヤカワ演劇文庫」とは、また思い切ったものだ。

名作の誉れ高い「セールスマンの死」だが、このような体裁でなければ読むことはなかったろう。そういう意味では、この文庫シリーズ、貴重である。

フラッシュバックによる回想シーンや、幻の人物と交わす会話などが、何度となく挿入されており、よほど慣れた読み手でないと話の筋が分からなくなりそうだが、演劇特有の熱を帯びた収斂度でもって、ラストに向かい突き進んでいく。

読み終えたものは、小説でも映画でもない、ましてや薄っぺらなテレビドラマなどではけして体験できない想像の世界を、初めて体験したことを知るだろう。
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<title>ロミオとジュリエット (新潮文庫)</title>
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<description>これは喜劇の要が強いと思う。

 シェイクスピアには４大悲劇がある。ハムレット、リア王、オセロ、マクベスだ。この４つも各々味わいは違うが 一応 人間の愚かさを見据えている点が共通している。シェイクス...</description>
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これは喜劇の要が強いと思う。

 シェイクスピアには４大悲劇がある。ハムレット、リア王、オセロ、マクベスだ。この４つも各々味わいは違うが 一応 人間の愚かさを見据えている点が共通している。シェイクスピアの悲劇とは 「登場人物が可哀想」という事ではなく「人間が不毛である」という突き放した視線にある。彼の悲劇くらい 泣けないものはなく 暗澹とするだけである。

 それに比べると シェイクスピアの中でも人気の高い本作は 喜劇である。簡単に言い切ってしまうと 誤解したカップルが頓死するどたばた劇ではないか。この話であれば 人間の不毛性というよりは「登場人物が 間抜けだけど まあ 可哀想」ということかと思う。人によっては泣けるでしょう。

 すくなくとも 書いているシェイクスピアが 冷笑しているような気がしてならない。少年時代、この作品を読んだところ、全く面白くなく、なぜこんなにま人々にもてはやされるのか理解できなかった。ロミオとジュリエットの悲恋話は典型的な、陳腐なものであると感じられたからだ（実はその典型を確立したのが当のこの作品なのだが）。

しかし、今あれからもう少し年をとり、この作品の凄さが解ったように思う。この戯曲の凄さ、それはセリフの一つ一つが、熱烈な恋愛に陥っている人間に特有の心理を鮮やかに描写していることだ。情熱的な恋愛をしている人間ほど、読んで「真理ナリ！」ハタと膝を打つに違いない。流石は恋多きシェイクスピアである。これは然るべき時、然るべき状態のシェイクスピアによって作られた作品である。ロミオはジュリエットに会う直前まで他の女性を熱烈に愛していたが、ジュリエットに会った途端に彼女のことはきれいさっぱり忘れてしまう。恋愛の本質をついた、「ロミオとジュリエット効果」という恋愛の方程式を作ってしまった二人の愛は、障害に満ちているからこそ盛り上がるわけで、ロミオがジュリエットにいうセリフと前の女性に語りかける言葉は似通ってしまっている。二人は結局最後に死んでしまうが、生き続ければ愛が冷めてしまうこともあっただろうから、むしろそのほうがよかったのかもしれない。全力で愛に生きたという意味で、ハッピーエンドだとも言える。シェイクスピアの中で一番人気のある作品といえば、きっとこの「ロミオ」ということになるのだろう。この作品をこれほど多くの人たちに支持させるもの、同じことだが、この悲劇を根底で支えているものは「喜劇」の精神だ、と私は思う。この悲劇はしばしば、同時期に書かれたもうひとつの傑作「夏の夜の夢」と比較される。だが、これらは扱われている題材が悲劇と喜劇というだけで、対比されなければならないような決定的な相違がある訳ではない。もしロミオとジュリエットを引き裂いた偶然のいたずらがなければ、これはハッピー・エンドで幕を閉じただろう。逆に、森に迷い込んだ４人の魔法が解けないままでいたとしたら、こちらのほうは悲惨な結末を迎えることになっただろう。モンタギューとキャピレットの一族をあげた対立ーー、だが、若いふたりには本当はそんなことはどうでもいい。いざとなったら、名前も捨てるし、家だって捨てるつもりだ。若い、とは、そういうことだ。幸せいっぱいのロミオは友人たちと陽気に騒ぎまわる。ジュリエットの乳母とのやり取りも軽やかだ。だが偶然が二人を引き裂く。これまで喜びのために向けられていたふたりの全エネルギーが、今度は逆に悲しみに向けて注ぎ込まれる。悲劇は加速する。これまでのふたりが幸福感に満ち溢れていたぶんだけ、二人を襲った突然の不幸は観客の胸を打つ。ーーふたりにもう少しだけ人生経験があれば、こんな悲惨な最期は迎えずにすんだかもしれない。だが、あまりにも幸福な二人の恋人たちは、運命のすがまま、悲劇に向けて突っ走ってしまう。塊才シェイクスピアをもってしても、生涯に二度とはつくれなかっただろう、全編に若さを感じさせる傑作！
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<item rdf:about="http://41-book.bestbook-search.com/detail/14/4122031087.html">
<title>蓮如―われ深き淵より (中公文庫)</title>
<link>http://41-book.bestbook-search.com/detail/14/4122031087.html</link>
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<description> 父は本願寺第７世・存知、蓮如はその庶子。本戯曲は蓮如３９歳から始まり、本願寺８代目法主になり、波瀾に富んだ中年を経て５６歳の春までが描かれている。生涯に４人の妻と死別し、５人の妻を娶る。子は男１３...</description>
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 父は本願寺第７世・存知、蓮如はその庶子。本戯曲は蓮如３９歳から始まり、本願寺８代目法主になり、波瀾に富んだ中年を経て５６歳の春までが描かれている。生涯に４人の妻と死別し、５人の妻を娶る。子は男１３人、女１４人生まれても早世する子が多かった。シンプルに簡略化を余儀なくされる舞台劇の脚本。二度目の妻蓮祐が蓮如の抱かれて息を引き取るところが本作品のクライマックスとなっている。阿弥陀さまの声が聞こえるお浄土へ往く。ト書き…蓮如、突っぷし嗚咽する。
 その時、あの御文（いわゆる「白骨の御文章」）がしたためられる。「…人間のはかなきことは、老少不定のさかひなれば、…」（暗転）混迷の今、「蓮如」に学べ、ということで前進座で舞台化され、各地で上演された。行き詰まった近代合理主義に対する「解毒剤」にもなるだろうか。虚妄の繁栄にすぎない表層の裏に深淵が隠されていることを悟りたい。  名前の他はよく知らなかった蓮如について、イメージをつかむことができました。これが何より。というのも、昔の仏教関係の人物は、往々にして名前(親族・友人を含め）も思想も漢字だらけで難解で、彼らに興味をもっても、その興味が内容のあるイメージに成熟する前に、心底うんざりしてしまうことが多いからです。その点、五木さんの読みやすい文章で戯曲として書かれた本書を読めば、蓮如という人物をたとえ五木さんのレンズを通してでもよく理解できるので、とても満足できました。ストーリーにそって語られる蓮如という人を思い描く、それは最高の蓮如入門でありました。付録の五木さんと三浦雅士さんの対談（インタヴュー）も、この戯曲の創作への作者の意気込みがよくわかって、なんとも楽しいものでした。 五木寛之は「蓮如」という本を２冊出している。１冊は岩波新書「蓮如―聖俗具有の人間像―」というノンフィクションの評伝で、もう１冊がこの「蓮如―われ深き淵より―」という戯曲である。サブタイトルだけが違っているので少しややこしい。さらに「蓮如物語」という本も出している。 私は岩波新書の方を先に読んだ。これが正解だったと思う。浄土真宗がどのような教えなのか、蓮如が生きた時代の背景はどのようなものであったか、五木が蓮如をどのようにとらえているかということが頭に入っている方が楽しめると思う。 岩波新書の中でも書かれているように五木は蓮如を「弱い人間」ととらえている。それは、非常にはっきりとこの戯曲の主題として描かれている。これは私が持っていた蓮如観とは全く違うものであり、非常に新鮮に感じられた。私は戦国時代に浄土真宗を強大な宗教勢力、政治勢力にまで育て上げた蓮如をマキャベリスティックな強力な人物ととらえていた。おおかたの日本人はそのようなイメージを持っていたのではないか。 ところが五木の描く蓮如は実に優柔不断で、さびしがりやで、弱虫である。回りの人間に流され、いつもおろおろしている。蓮如が六歳の時母親と生き別れになったことを五木は重視している。「運命の足音」を読んでわかったのだが、五木も少年時代に朝鮮に侵入してきたソ連軍に母親を殺されている。おそらく自分の気持ちを蓮如に重ね合わせているのであろう。 これは遠藤周作が「弱いキリスト」「無力なキリスト」を描いたのと軌を一にしている。日本人の中には強力な、父性的なカリスマより、弱しいが、すべてを受け入れてくれる母性的なカリスマを求める気持ちが強いのではないか。 しかし、ただ弱ければいいというわけではない。あくまでも誠実で、無私の人であることが求められる。蓮如は母親が別れ際に残した「私を思い出すときには、おねんぶつをとなえなされ。ただ、しんらんさまについてゆくのじゃ。そして、おねんぶつをひろめなされ」という言葉を胸に、戦国の庶民に念仏のメッセージを伝えるための「お文」を書くことに命がけで取り組む人物として描かれる。ありきたりな言葉しか書けない自分の表現力のなさに悩み抜く姿が印象的である。 これはあくまでも五木のとらえた蓮如像であり、実在人物としての蓮如とは当然ずれがあるだろう。我々がこの本に読みとるべきなのは蓮如の実像よりも、むしろ蓮如を通して描かれた五木のメッセージであると思う。五木は最近「情の力」という本を出した。五木が蓮如を通じて表現したかったのはこの「情の力」ではないだろうか。五木寛之が、戯曲という手法を使って描いた蓮如の物語。蓮如は、闇のような室町時代に生きて、人の魂を救うべく他力本願を唱えた浄土真宗の僧。現代も蓮如の時代に似た闇が世の中を覆っている。現代の人にも蓮如の言葉は伝わるはずである。「大河の一滴」などと共通する傷ついた現代人の心を癒す物語である。戯曲といっても、舞台よりも読者を意識して作られた作品。この形式を採用で、「会話」がリズミカルになり、登場人物に生き生きとした個性を与えることに成功している。読みやすくなっている。蓮如は、「ふみ」によって親鸞の教えを広く世の中に伝える。世の中の多くの人が、文字が読めない時代であったため、それは音で伝えられることを目的とした文章であった。後世の人は、蓮如の文?を悪文と評価したが、声に出してみるとその文章は命を吹き込まれ、輝き始める。著者は、このことを強く意識して、あえて戯曲で蓮如を現したのではないだろうか？巻末の三浦雅士との対談「なぜ、いま戯曲を書くのか」も小説論として秀逸。蓮如は室町時代、一向一揆の指導者で浄土真宗の組織者といわれます。五木寛之さんの蓮如は、飢餓と戦争と疫病の時代に人類救済の思想を求める求道者です。前進座公演の戯曲。
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<title>桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)</title>
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<description>チェーホフが、登場人物の一人、トロフィーモフに対して冷笑的であるのは明らかである（少なくとも神西清氏の訳で読む限り）。
ところが、新潮文庫の池田健太郎氏の解説では、アーニャとともに、未来を象徴する存...</description>
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チェーホフが、登場人物の一人、トロフィーモフに対して冷笑的であるのは明らかである（少なくとも神西清氏の訳で読む限り）。
ところが、新潮文庫の池田健太郎氏の解説では、アーニャとともに、未来を象徴する存在とされている。
いささか首をかしげたものであったが、神西清全集（文治堂）をみると、その点について明確に書いてあり、おおいに納得した。
 
「作者が肩をもつてゐるのは、果してラネフースカヤ・ガーエフ族であるか、それともロパーピン族であるか、それとも非情な神々の戯れといふものであるか、それとも人類永遠の希望である気長な進化学説であるかといふことによつて、この戯曲の解釈は如何やうにも変化するわけである。ただ一つ、頼りない夢みたいなことばかりほざいてゐる万年大学生トロフィーモフ族によつて、明日の世界が突如として明るく開けようなどとは、チェーホフは絶対に考えてゐなかつたであらうが」（神西清「チェーホフの本質について」）
 
全集にあたる手間をかけられない多くの読者は、混乱させられたままだと思うと、気の毒である。
ミスリードな解説は、困ったものだ。
新潮社には、神西氏がチェーホフについて書いたもの（上記、または「チェーホフの戯曲」など）を収録するようお願いしたい。まず、チェーホフの作品をつまらないなどと言おうものなら、演劇界で干されてしまうような
雰気があるのが大嫌いである。
これはある意味、権力である。

私は、本当は何一つの良さもわかっていないのに大作家だからという理由で賞賛している人がかなりいると見ている。

日常的な会話に含まれる憂鬱さ、生活を変えようとしない人々が描かれているのだが、それをわざわざ演劇で表現されても個人的にはつまらないし、そんなにすごいことだとも思えない。

まず自ら足を運んで見に行きたくない作品の一つです。

もういいだろう。日本人はあまりにも海外の戯曲にコンプレックスを持ちすぎだと思う。
もちろんいい物はいいと思うのだけど。現在と過去のプラグとして舞台の上に現在が語られ、その登場人物たちの多くが過去にしがみつこうとあがき、未来へと引っ張られることを拒んでいる。
「三人姉妹」の三人の姉妹も「桜の園」のラネーフスカヤ夫人も、前を向くことを執拗に拒み、ようやく少し頭を上げたときには、全てがバラバラに砕けていく。
人は未来へと引っ張られることを拒むために、様々な理由をでっち上げてはその正当性を主張する。
それは特定の人であったり特定の過去であったり、そういうものに責任を求めることによって、留まること、振り返ることを正当化しようとする。
でもそんなことしても無駄で、やっぱりみんな未来へ向けて流されていく。
19世紀末のロシアなんて今の日本とはかけ離れていて当然のはずなのに、彼らの抱える問題の中にはそんな違いは全く感じられない。
人間たることの苦痛、人間たることの宿命とも言えそうなことが、チェーホフの戯曲の中には激しく感じられる。
チェーホフが素晴らしい作家、劇作家である事は言うまでもありませんし、神西清が素晴らしい翻訳家である事も言うまでもありません。それじゃあ、一体何を言えばいいのでしょう？

このふたりが何故素晴らしいか？それは、ふたりの心が美しい。ふたりの言葉がやさしい。現実を見つめる暖かい人柄そして冷静な眼。「桜の園」を出て行かなくてはならなくなったラネーフスカヤ夫人そして娘のアーニャ。「さ、一緒に行きましょう、出て行きましょうよ、ねえ、ママ、ここから！」こういう日本語、こういうロシア語は心の優しい暖かい人からしか生まれません。

まさにチェーホフそして神西清ゴールデンコンビの名作。 チェーホフが何を主張したいのか、私には理解出来ませんでした（苦笑）。しかし、神西清さんの日本語訳は、端正で詩的な美しい文章で、ロシア的なストイックな暗さが感じられる名訳でした。池田健太郎さんの解説も名解説で、「チェーホフが何を主張したいのか」が理解出来る様な気がしました。ロシア的なストイックな暗さを、貴方にも味わって欲しいです。
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<title>リチャード三世 (新潮文庫)</title>
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<description>恐ろしい・・・・。主人公リチャード三世は自分が王になるために、つぎつぎと邪魔者を殺し、ついには王座につく。ところが最後には自分も殺される。

とにかく、あらゆる手で人をおとしめ、その命を奪っていく様...</description>
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恐ろしい・・・・。主人公リチャード三世は自分が王になるために、つぎつぎと邪魔者を殺し、ついには王座につく。ところが最後には自分も殺される。

とにかく、あらゆる手で人をおとしめ、その命を奪っていく様はまさに最強の悪役。本当に悪いやつです。舞台では、ほとんど彼の一人舞台になり、ハムレットに並ぶ大役なのだそうです。

結局は、王座に誰が座るかという大人のイス取りゲーム。
リチャードはセムシでビッコである。もちろん、このように生まれついたことに彼の責任はない。だが、世間はそれを、まるで彼のせいであるかのようにみるし、彼自身後ろめたい思いを抱いたことがあったかもしれない。彼はいわばその誕生の時に不正を加えられた。だから、健康な奴らには許されない不正を犯しても、きっと自分には許されるはずだ。ーー悪党になってやる。それも、悪の限りを尽くして、きっと王冠を手に入れてみせる！ シェイクスピアにあっては、悪党たちのスケールもデカイ。しかも魅力的だ。ーーでも、どうして悪はこんなに魅力的なのだろうか？ そういえば、大人たちはしばしば、オレも昔はワルだった、と言いたがるーー。「尺には尺を」の中に「美しい音楽は悪を善に変え/善を悪にかりたてる」という台詞がある。前半の「悪を善に変え」はいいとしても、「善を悪にかりたてる」というのはなんだろう？ たとえばヒトラーのナチスとワーグナーの音楽の関係のようなことをさしているのだろうか？ 美はしばしば私たちをあざむく、と私たちは言う。でもそうではなくて、美そのものが危険なもので、その危うさにこそ魅力がある、としたらどうだろう？ 美が私たちをあざむいているのではなく、私たちのほうがそのような危険を愛する、危険でないものに美を見出さない（見出せない）としたら？悪を善に変え、善を悪にかりたてる美の魔法。ーー両刃の剣、の魅力。
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<title>夏の夜の夢・あらし (新潮文庫)</title>
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<description>妖精の女王タイターニアと、人間の世界の恋人たちに
妖精パックが魔法をかけるが、手違いで奇妙なことになる「夏の夜の夢」と、

追い落とされたかっての王が、元の地位につこうと魔法をふるい、
その娘と、互...</description>
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妖精の女王タイターニアと、人間の世界の恋人たちに
妖精パックが魔法をかけるが、手違いで奇妙なことになる「夏の夜の夢」と、

追い落とされたかっての王が、元の地位につこうと魔法をふるい、
その娘と、互いにひとめぼれした王子の恋が
すべてを大団円に導く「あらし」

二話とも、人間の世界と魔法や妖精の世界がまじりあう幻想的な雰囲気と
登場人物たちの心情のリアルが
美しい文でしあげられています。
ちょっと強引な大団円ですが、あらしのラスト、エピローグは
ちょっとした仕掛けになっていて、すごく好きです。

今の季節に読みたい一冊です。『夏の夜の夢』は素敵な戯曲です。四人の若き
恋人達のドラマ、妖精たちの幻想的な物語、そ
して職人達の芝居修業という、三つの筋が夏の
夜の森の中で展開します。
タイターニアに仕える妖精、豆の花・蜘蛛の巣・
蛾・辛しの種が可愛い。
読み終えると「ハーモニー」の感覚が、読者
心を満たし、「幸せ」を実感させてくれます。

子供の頃、『あらし』の和訳を読んだ時、ラスト
でプロスペローが魔法の杖を折ったことに、「何
故？」と思ってしまいました。
「昔の悪事を許された人たちが、これから翻意し
たらどうなるだろう！近く結婚するミランダと
ファーディナントの為にも、魔法の杖を持って
いるべきでは！」等と考えてしまったのです。
今思うと、当時の自分の感想が恥ずかしいです。

プロスペローは自分の意思で杖を折った。
魔法の使い手でもなければ、妖精を自在に動かす
存在でもなく、有限な存在である自分自身を受け
入れたかったのだとしみじみ実感しました。
そこに彼が最後に求めた、「身の自由」があった
のだと思います。

作者シェイクスピアが単独で書く戯曲としては
これが最後。プロスペローに自己の心境を託した
ことが窺えます。「夏の夜の夢」にも「あらし」にも、妖精が出てくるが、
それが現実にいるかのようなリアリティーがある。そ
して、どちらの話もハッピーエンドで終わるのが、う
れしい。シェークスピアの目には、妖精が、魔法が、
見えたのではないかと思ってしまうほどのできばえである。シェイクスピアの作品で最も好きなのが「夏の夜の夢」。
先ず、タイトルが最高に良い。何か幻想的でハッピーで、
胸を締め付けるような爽やかな甘美さを感じさせてくれる。
登場人物たちが妖精なので、多くの台詞が自然に幻想的になっており、
聞いているだけで、心ときめく。詩情豊かな幻想喜劇。
そして、そこから紡がれるふくよかな台詞が全く陳腐にならず、
見る者の心にすーっと優しく染み入ってくる。
読む度に、幸せな気分になる珠玉の作品だと思う。
チェスタトンもこの作品が大好きだったようだ。
花々の甘い風のなかに踊るキャラクターや台詞たちは、
何か抱きしめたくなるような懐かしさも感じさせてくれる。

福田恆存氏の訳は素晴らしく、
「待つ身の楽しさもあと四日、そうすれば新月の宵が来る。
かけてゆく月の歩みの、いかに遅いことか！」と始まると、ドキドキする。
「露をさがしに行かなければ、そうして桜草という桜草の耳たぶに、真珠の玉をかけてやらなければ」
「キューピッドの矢に射抜かれた紫の花の滴」
「おい、音楽だ。〜この大地のゆりかごを、そっとゆすってやるのだ。〜それ、雲雀の声が朝の歌を」
最後はパックが「ちょいと夏の夜のうたたねに垣間見た夢幻に過ぎないと」
「いずれパックが舞台でお礼をいたします」と言って消えていく。

「あらし」も良い。さすがシェイクスピア。
ただ、「夏の夜の夢」が、私にとっては素晴らし過ぎる。
是非ともオススメの宝石。少し前ハリウッド映画にもなっていた『真夏の夜の夢』（ただし福田恒存氏は夏至の前日という舞台設定、そしてイギリスの夏は過ごしやすい陽気であることを考え合わせ、「夏の」夜の夢にしている）＆シェイクスピア晩年の傑作、『テンペスト』をおさめた文庫。一見、異様な取り合わせにも思えるが、両作品とも、妖精が出てくるなど多少幻想的なところが共通しているともいえよう。妖精パックの手違いで、恋人たちがごちゃごちゃになってしまうMidsummerNight's Dream、そして領地を追われたミラノ公プロスペローが、自分と娘ミランダを追いやった者たちを乗せた船を難破させるところからはじまる『あらし』、どちらも面白く読める作品。結局、夏の夜の夢の恋人たちはあれで良かったのだろうかとか、プロスペロー達の和解が微妙に不完全だったり、というところもあるが、短くて読みやすく、基本的にはハッピーな物語である。巻末に解題つき。但し、字がとても小さい上、ところどころブレたようになっていたりして、体裁上は読みにくい。
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<title>サロメ (岩波文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-18T02:29:14+09:00</dc:date>
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<description>他にもサロメの日本語訳本はありますが
文体と格調の美しさと簡潔さはこの福田さんの訳本が一番でした。
此処に出てくるサロメの姿は月の光のようにはかなく消え入りそうでいて
最後抑えていた感情を全て曝け出...</description>
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他にもサロメの日本語訳本はありますが
文体と格調の美しさと簡潔さはこの福田さんの訳本が一番でした。
此処に出てくるサロメの姿は月の光のようにはかなく消え入りそうでいて
最後抑えていた感情を全て曝け出して愛する男の首に接吻する狂える女。
神秘的で幽玄･･･そして可愛いらしくも強い少女です。
ビアズリーの挿絵(これも素晴らしいのですが)すらこの名訳の前にかすんでしまうほど。
この福田さんの訳本が無ければ自分はここまでサロメという作品に魅せられなかったでしょう。
文句なしにお勧めです。短くて、毒気に満ちている。ウィスキーボンボンのような作品ですな。本の薄さに手軽に味わえると思うと悪酔いする。子供のときに、所詮お菓子なんだからと、ボンボンをつまんで食べたら頭がクラクラしたのを思い出す。

同じような台詞が反復するのは音楽的な効果を上げている。ディオニュソス＝酒の神＝悲劇の神＝音楽の神というニーチェの認識をうまく具現した作品。淫蕩に輝く月や薔薇の花弁が視覚に強烈に浮かんでくるので、造形芸術＝アポロン的な要素も、その音楽性にうまく連動しているといえる。本当に、『悲劇の誕生』に書かれていることを実践しようと思って狙って書いたんじゃないかと思えるくらいだ。作品自体については、あえて言及しない。福田恆存の翻訳は１９５８年のもので、そもそも旧仮名遣いを使用するなど福田らしいものである。それを踏まえれば、かなりに高水準ではあると認めるし、本作の「古典的名翻訳」と呼ぶだけの価値はあると思う。

しかし、現代の目からすると「古い！」と思わずにはいられない。特に、女性の言葉遣いは「日本語の変化」でも極めて顕著な部類である。この訳からは、サロメが十代の少女（１５歳くらい？）であることが一般読者には伝わらないと思う。

著者の言うように戯曲としてより、Ｒ．シュトラウスのオペラとして有名になっていうせいもあろうけど（但し、福田の解説はいささか大げさで、劇としての上演も面白い試みがある）、改版時に訳者は既に逝去されていたことを思うと「新訳」を期待したし、今でもそれに変わりはない。

但し、従来未公開であったものも含めビアズリーの挿絵が完全収録されているのはこの岩波文庫版の大きな魅力である（これで確実に☆が１つ増）。

巻末の「解説」も上記のように多少の問題はあるけれど、文庫本のものとしては十分なものである。
オペラを見た帰りに買った文庫本。
……なのだが、なかなかどうして、何回も読み返している。

挿絵が魅力的。それもあるだろう。
見た舞台が美しかった。それもあるだろう
（オペラって凄く得意ではないけれど）。
通じ合ない思いの儚さ、激しさ、耽美的な語り口。それもあるだろう。
……あるのだろうけれど、どうにも不可解。
そもそも、戯曲には苦手意識があったはずなのに。

分析するのも無粋なような気がして、自分の中では「よくわからないけれど
何度も手に取ってしまう作品」として記憶されている
今も本棚の最前面にあるのは何故なのか。また読んでみようと思う。
 ワイルドは奇抜な言動で知られ、非常に不運な人生を送った作家です。「没道徳」の烙印を押されがちな彼の作品にはしかし、人の心を惹きつけてやまない甘美で不思議な魅力があります。
 サロメは新約聖書における預言者ヨカナーンの受難の場面を一幕の戯曲にしたものであり、元の簡素な記述を何倍にも膨らまされた、不気味でおどろおどろしく、そしてどこかロマンチックな悲劇です。内容は短いので敢えてあらすじをここでは書きませんが、読む価値のある素晴らしい作品であることを保障します。戯曲なので実際のページ以上に短いため、文学だからと敬遠せずぜひ読んでみてください。このような作品を書くワイルドは『幸福な王子』などの童話の著者ワイルドと同じであることを踏まえると、より深く味わえると思います。

 なお、文庫では新潮版と岩波版が存在しますが、効果的に配置されたビアズレーの挿絵と福田恆存による名訳のため、この岩波版をお薦めします。印象に残る台詞と挿絵（余談ですがワイルドはこの絵が大嫌いだったそうです）に満ちた愛と憎しみの物語にじっくりと酔いしれてください。
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<item rdf:about="http://41-book.bestbook-search.com/detail/19/4101255261.html">
<title>シェイクスピアを楽しむために (新潮文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-18T02:29:14+09:00</dc:date>
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<description>｢シェークスピア｣という名前は知っている。
代表作のタイトルもいくつか知っている。
でも、その内容はほとんど知らない、という方には最適な｢シェークスピア入門書｣です。
筆者の書くとおり、訳書ではその...</description>
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｢シェークスピア｣という名前は知っている。
代表作のタイトルもいくつか知っている。
でも、その内容はほとんど知らない、という方には最適な｢シェークスピア入門書｣です。
筆者の書くとおり、訳書ではその面白さがうまく伝わらないし、
英語で読むには語学の壁がある。
そんな煩わしさを取り除いて、面白い部分だけを得意の阿刀田節で楽しく説明してくれます。
近年、シェークスピアの作品をモデルにした演劇や映画も非常に多くありますが、
多くの方は、それらの元ネタがシェークスピアだとは知らずにご覧になっているでしょう。
この本を一度読んでおけば、映画や演劇の見方がこれから変わってくると思います。


 有名だけれど、細かいストーリーまでわからないシェイクスピアの作品、生涯を阿刀田先生らしくユーモアを交えてわかりやすく書いています。

 この本を一冊読めば、シェイクスピアについて、だいたいの知識は得られると思います。

 阿刀田先生は、有名な古典を全部読むと大変だから、わかりやすいダイジェストを作ろうとしています。

 読者が退屈しないように、ユーモアを入れているので、このユーモアは読者サービスだと思います。シェイクスピアの有名戯曲の紹介本。阿刀田高が得意とする類の入門書である。私は1998〜2000年頃、シェイクスピアの作品に集中的に取り組んだことがあるが、粗方忘れていたから、記憶の整理には役立った。なのに何となく不快感がある。

本書の記述は大変わかりやすくて、どこをとっても難解な文章には出会わない。本来、それは素晴らしいことである。しかし私の不快感は、そのことと無縁ではなさそうだ。つまり、品格の問題である。

紋切り型のくだけた表現が随所にある。そのため文体がおっさん臭い。そして、私は何となく、馬鹿にされている、と感じた。あるいはそれは言い過ぎにしても、作者が圧倒的な知識差を自覚することによって、読者を手玉に取ろうとしている、という文章に思えた。もしも私がシェイクスピアの作品をまったく知らなかったら、こんな印象は持たなかっただろう。せっかく役立つ本なのに申し訳ない気がするけれど、作者が学者ではなく文章のプロであるだけに、文において改良の余地があると思う。
阿刀田さんのこういった類の本の魅力は、何と言っても読みやすいことです。それでいて読み終わった時には何かシェイクスピア作品の核心を掴んだ気にさせてくれました。丁寧な時代背景・登場人物の解説、小説家と劇作家の作品の作り方の違い、シェイクスピア作品の魅力をしっかりと伝えてくれています。個人的には最後にトルストイの話が出てきてとても興味深かったです。他の方も書いておられますが、連載企画ですのでやはり同じことを何度も書いてあります。まあ仕方ないんですが。シェイクスピアの生い立ちから始まり、作品の一つ一つに独自の見解で意見が書かれてあり、とても興味深く読めました。シェイクスピアの作品はストーリーの面白さ以上に台詞の巧みさにあることがよくわかりました。知らない作品でも内容と見所、名台詞が書いてあるので理解しやすかったです。日本語では現しきれない部分が多々あるようなので原文を読めたら面白そうだと思いました。
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<item rdf:about="http://41-book.bestbook-search.com/detail/20/4102013016.html">
<title>青い鳥 (新潮文庫 (メ-3-1))</title>
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<dc:date>2008-11-18T02:29:14+09:00</dc:date>
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<description> 青い鳥といえば、こどものころ、いわさきちひろさんのあわい絵が美しい、この本の古版を宝物にしていましたが、これは物語として再編集されていたんですね。原作は、とにかくメーテルリンクのこだわりっぷりがす...</description>
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 青い鳥といえば、こどものころ、いわさきちひろさんのあわい絵が美しい、この本の古版を宝物にしていましたが、これは物語として再編集されていたんですね。原作は、とにかくメーテルリンクのこだわりっぷりがすごい。登場人物の衣装や舞台に至るまで事細かに設計してあるんですよ。おかげでイメージがわきやすくて助かりますが、この劇を作る人々はさぞ大変だったことでしょう…。古い本なので、時代を感じさせる言葉遣いや時には不適切な表現も見られますが、それらを含めてももう一度読んでよかったと思いました。絵本の記憶はかなりおぼろげなので、チルチルとミチル、犬のチロ、砂糖の指をおやつにくれる砂糖の精くらいしか覚えていなかったのですが、実は仲間がたくさんいたんですね。しかも彼らにとっては青い鳥探しは戻れない旅という衝撃…。それでもチルチルとミチルと旅に出たいと乞うチロはいじらしくて胸を打たれました。いろいろな国をたどりながら一行は青い鳥を探しに行くのですが、わたしの待望の「未来の国」はやっぱりとてもよかったです。未来の国の彼らは自分の運命を知っています。生まれたら忘れてしまうんでしょうけれど、英雄的な役割をすることになる子といった良き?さだめを持つ子の一方で、病気を3つも持っていく子や、苦しいものを持っていく子がいます。彼らはけれど、忘れないように、それらを持って旅にでるんです。いいものも悪いものも持って未来の国を出て行く。そのくだりが一番好きです。ここを読んだだけで満たされるくらい好き。その後も彼らのたびは続き、結末は皆さんが知っているとおりなのですが、絵本よりも詳しい描写が魅力的で、大人が楽しめる童話だと思います。
 クリスマス・イヴの晩のこと、老婆に乞われたチルチルとミチルの兄妹がまばゆく輝く
青い鳥を求めて、ダイヤモンドを携えて、遍歴の旅へと向かう。

 恐ろしい本だ。
 この話の教訓、旅路の果てにたどり着いた我が家、飼っていた鳥かごの中のキジバトが
求めていた鳥だったとは、それが転じて幸せは近いところに転がっている、などというのは
典型的な解釈にして、典型的なミスリーディング。

 物語の結末、旅を終えて、目を覚ました兄妹は両親に向かって、ひたすらに旅の興奮を、
光の魅惑を語りかける。しかし、彼らには一切通じない。隣の老婆にベリリウンヌの影を
見る。しかし、それも通じない。一度喜悦の光を見出したものにとって、両親たちの表現する
平凡な世界はもはや生きるに値せず、平凡な世界にとって兄妹の語る光はあまりに苦しい。
 そんな光なき日常の何が幸福だというのか？ 馬鹿の戯言。

 光を知る者、知らぬ者、通わぬこと、通い得ぬこと、それこそが『青い鳥』の魅力にして、
残酷な教え。
 こうしたモチーフを刻んだ記念碑的小説としては、セルバンテス『ドン・キホーテ』を
やはり一番に挙げぬわけにはいかない。 私は歓喜しました。
 
 幸せの定義の根底を覆させられました。

 金持ちで、容姿端麗、愛情豊かな両親の元で生まれるのが、必ずしも幸せではないということ。

 病気で生まれてくる赤ちゃんが、実はあえて生まれる前にそれを選んでいるということが、こちらの本に書かれています。

 病気＝不幸では無いという事。私には刺激的な話でした。

 命は命。上も下も無い。個人的解釈ですが、家庭とは何か、愛とは何か、そして本当の幸せとはどういうモノなのかを深く考えさせてくれる良書です。

 もしかしたら、当たり前の事を教えてくれているのかも知れません。私が、いえ、私たち現代人が忘れてしまった心を甦えさせてくれる作品かも。幸せの象徴として「青い鳥」という言葉が日本人ほど好きな国民はいないのではないでしょうか。「青い鳥」という名前のつく保育園や図書館、児童館があちこちにあるように思います。しかし、「青い鳥」＝幸せ という印象をもつみなさまが原作を読まれているのかどうかは怪しいところで、題名のイメージが一人歩きしてしまったのではないか、と考えます。つい最近、メーテルリンクの作品を読むまではわたくしも 「青い鳥」＝幸福 と漠然としたイメージをもっておりました。原作はそのような淡いパステルカラーの幸せを描いた作品ではなく、シビアな現実を目の前に突きつけられた感じがしました。ほんとうの幸せ、生きる意味を知るためにもメーテルリンクの原作をぜひとも多くの方に読んでいただきたいと思います。心霊的な観点で、この本を読ませて頂きましたが、死んだ人が出てきたり、生まれる前の子供達が出てきたり、霊的な世界をこの作者は見た時がある様な感じがしました。子供が読む本だと思っていましたが、大人が読んでも大変むずかしい本だと思います。心理学的・哲学的・心霊学的観点で、皆様も読まれたら、大変勉強になる本だと思います。
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